キャッチに釣られて入った客が、常連になることはない―立石編

赤提灯マネジメント

【登場人物】
佐藤(29才):電子機器メーカー開発 新米係長 
鈴木(50才):製薬会社 海外営業部 営業本部長  

ここは東京、新宿から電車で15分程度にある駅の近くの居酒屋。

赤提灯につられて、今夜もつい立ち寄ってしまった。
週末の夜、この居酒屋でよく会う常連の鈴木さんと話すのが楽しみだ。

居酒屋の大将から聞いた話によると、
それなりに名の通った会社の偉いおじさんらしい。

少し席を外して戻ってくるとテーブルにおちょこが置いてあった。

PPS_tokkuritomasu_TP_V.jpg「あれ、このおちょこなんですか?」

「これは大将からのサービスだよ。懇意にしてる酒屋から贈られてきたらしいんだけど、量もそれほどないし、店に出したとしても単価が高くなりすぎるらしいから、常連の俺らだけに出してくれたらしい。この瓶の日本酒みたいだな。」

「これって、十四代の龍泉じゃないですか!?めちゃくちゃ貴重な酒ですよ。」

「やっぱりそうだよな。君の月給より高いんじゃないのか?この酒。しかし、この量は…。」

「すごい!僕らは、週に4日も通ってる常連ですし、役得というか、特典みたいなものですかね。」

「飲食店が常連客を大事にしてくれるんのは嬉しいし、これぐらいのサービスはたまにあっても良いかもしれないけど、商売する上であまり過剰なサービスは好きじゃないな、俺は。」

「どうしたんですか?考えすぎじゃないですか。」

「まあ、俺らは常連だけど、初めての客にこんなサービスをしたらダメだろ?」

「ああ、そういうことですか。最初にこんなサービス受けたら、それが基準になっちゃって、次来た時にサービスなかったら、もう一度来ようとは思えなくなるかもしれませんね。」

「仕事も一緒なんじゃないかな。今、無料の社内食堂とか、プライベートバーとか、従業員特典を社員に与えてる企業も多いじゃないか?それなりに儲かってるなら、優秀な社員へのご褒美として還元するのもアリなんだろうけど、それに惹かれて入社してくるヤツはどうなんだろうな。」

「今は、優秀な人材は特に貴重ですから、そんな人材に来てもらうためには、彼らが働きやすくて、楽しい環境を職場に整えるのは良いことじゃないですか?」

「いや、俺は優秀な人材をエサで釣るよりも、今、会社にいる人材を育てる事の方が大切だと思う。君も分かってると思うが、新しい人材を雇うって、かなりの金銭的なコストがかかる。ウチみたいなところは最低でも700~800万円くらい年間でかかる。それで、定着してくれば良いんだが、経験からいうと、新卒は3年経つと3割はいなくなっちゃうんだよな。」

「人、時間、金をかけても、辞めちゃうヤツは辞めちゃいますし、業務に関係ない社員特典で会社を選ぶような奴は、さらに定着するのが難しそうですよね。」

「今は、シリコンバレーの企業も、従業員に特典を与えるような制度は辞めてるみたいだな。それに離職率が高いかどうかは、今はネットで調べると出てくるからな。求職者は警戒して、さらに人がこなくなる。悪循環だな。」

「そうなると、今いる社員のポテンシャルを伸ばして、定着させた方が良いって事ですか?」

「そう!それだよ。育てる事だ。だいたい、俺から言わせてもらうと、すぐ辞めていっちゃうヤツを採用している側は、新入りをどう成長させるかのプランがない。辞めちゃうヤツのキャリアプランを理解して、それを組織の目標達成にどう組み込んでいくか考えなくちゃな。

それと、新しく入ってきたヤツを教育する時は、採用する前から研修を始めること。」

「どういう事ですか?」

「採用する前に、職場の雰囲気とか文化が分かるよう研修プログラム作ることだな。新人研修は、新人が求人票を手に持った時から始まってるんだよ。そして、採用してだいたい六ヵ月経つまで段階を踏んで組織の一員にそだてていく。新しい人を採用するってことは、組織がバージョンアップするプログラムをインストールするみたいなもんなんだから、準備は用意周到にしなくちゃならない。」

「なるほど、大将の常連のサービスから、大きな話になりましたね。勉強になりました。でも、なんでそんなに今日は辛口なんですか?」

「俺の十四代は、こんなに少ないのに、君のは、なみなみ入っているからだよ!罰として何かおごれよ!」

またしても、奢らさせられてしまった。
余計な出費が増えてしまったが、今日もおじさんと話せて良かった。

―今日も居酒屋の赤提灯は煌煌と夜に浮かんでいた。

~続く~

本記事は、赤提灯居酒屋で、企業戦士たちの談話を肴に、お酒を嗜むことを趣味とする筆者が、居酒屋で耳にした実話と、仕事上の体験談を、プライバシー保護を目的に編集、再構成したフィクションです。