居酒屋の客が求めているのは、分子ガストロノミーじゃない。いつもの枝豆だ。 ―板橋編

赤提灯マネジメント

【登場人物】
佐藤(29才):電子機器メーカー開発 新米係長 
鈴木(50才):製薬会社 海外営業部 営業本部長  

ここは東京、新宿から電車で15分程度にある駅の近くの居酒屋。

赤提灯につられて、今夜もつい立ち寄ってしまった。
週末の夜、この居酒屋でよく会う常連のおじさんと話すのが楽しみだ。

居酒屋の大将から聞いた話によると、それなりに名の通った会社の偉いおじさんらしい。

今日は早めに、仕事が上がったので、おじさんと世間話して平日の夜を楽しもうとしていたら、大将から自慢げに、今日のお通しの説明を受けたのだけど…。

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「食べましたか、このお通し?」

「ああ、なんだろうな。上手く言えないんだが、こってりとしてるのに、コクもなく、しつこくもなく、うま味もなく、味気がなくて…。なんて名前の料理だって言ってたっけ?」

「液体窒素でホヤを凍らせて、粉末化したものをムースにして、昆布だしとヘリウムガスを合わせたソースかけた『赤ホヤのムース、茶わん蒸し風iPodを添えて』って言ってました。」

「はっきり言うと、不味いし。コンセプトが分からないな。和風居酒屋なのに、厨房が科学実験室にみたいになってるしな。大将はたまに、常連にお通しで、開発中の新商品を試してくるけど、今回は大分、斬新な料理を持ってきたな。」

「僕はこの店の他の料理、美味しいと思うんですけど、何故、こんな攻めた料理を…。」

「大将もプロの料理人だからなあ、常に新しい味を求めてるんだろう。ガストロノミーは最先端の料理だからなあ。」

「ああ、だから、この添えてあるiPodから海の波音が聞こえてくるんですね。しかし、組み合わせってものがありますよね。」

「新しいアイディアは、既存の要素の組み合わせ以外の何ものでもないんだから、大将の開発アプローチは間違ってないよ。君も開発部門なんだから、分かるだろ。」

「人が思いつかないような成功例の組み合わせで、新しい良いアイディアが生まれるって話ですよね。それが革新的な製品やサービスを生み出すとか言うヤツ。

例えば、スティーブ・ジョブズみたいな、カリグラフィー、インドの文化、日本の禅、ペプシ・コーラ、テクノロジー……そうしたものすべてにインスピレーションを得て、iPhoneを生み出しましたよね。」

「革新的な製品を開発する場合は、スティーブ・ジョブズのような、アイディアマンから学ぶ必要があるけど、ここの大将が学ぶべきは、『ドリルを買いに来た人が欲しいのはドリルではなく穴である』って言葉だな。」

「僕らは居酒屋メニューに、革新性よりも、安心感を求めていますよね。」

「客が『求めているもの』を提供しなきゃね。サービスする側の『最高の作品』を提供する必要はないんだけどなあ。まあ、いいや口直しに、鰻のキモ頼もう。もちろん、君のおごりで」

またしても、奢さられてしまった。
しかし、今日も良い酒が飲めた。

―今日も居酒屋の赤提灯は煌煌と夜に浮かんでいた。

~続く~

本記事は、赤提灯居酒屋で、企業戦士たちの談話を肴に、お酒を嗜むことを趣味とする筆者が、居酒屋で耳にした実話と、仕事上の体験談を、プライバシー保護を目的に編集、再構成したフィクションです。